"国際交流はこの世界の様々な人や文化と交流をして、他人との交流の中で自分のことをもっとよく知り、広い世界のさまざまな出来事に興味を持ち、さまざまな問題に責任を感じるための人間作りである。"
March 19, 2010
Austrailia Study Trip オーストラリア海外研修
http://howdy-makubetsu.blogspot.com/search?q=オーストラリア
March 28, 2008
Eyes on Australia
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March 17, 2008
Congratulations! おめでとう
幸いなこと、私はある中学校の卒業式を見に行く機会がありました。 三年生とその後輩は涙ながら、三年間の思い出を振り返って語り、改めて感動していたそうです。三年生はもう三年間と一緒に授業をともにしてきました。私は三年生の中には、中学校を入学する前から知っている生徒もいますね。私の方は涙は出なかったけど、出そうになりましたね。一年生からの成長を見て感動しました。そして、これから三年生の素敵な笑顔がなくなると思ったらちょっと寂しく感じます。色々教えてもらいました。ありがとう。これから頑張ってください。
そして、先週からの続きですが、職員室に、卒業したばっかりの三年生が合格発表に訪れてきます。
中には、涙を流しながら、先生に感謝の気持ちを伝える生徒も。うん、春ですね。
改めて、卒業おめでとうございます。そして、合格もおめでとう。これからも頑張ってくださいね。
追伸:幕別中学校はフログを始めました。生徒会がやっているようです。卒業と関連の記事も投稿しています。予餞会、卒業式を読んでみてください。
February 02, 2005
一時の気まぐれ
高校2年生の時、留学生が1年3ヶ月私の家にホームスティをしました。一緒に学校に通ったり、筋トレしたり、遊んだりしました。私達にはその留学生の名前が発音し難く、愛称「Massy」と呼んでいました。Massyはもちろん英語が少し話せたし、特に変わった服装をしたり、私達を困らせる習慣等もありませんでした。
当時私、そして自分の家族も、一方的にMassyに英語や自分達の習慣を教えようとしていました。例えばよく次のようにMassyの英語を直していました。「Massy, you don’t have to say “sorry” whenever someone does something for you, you just need to say “Thank you.”」(Massy、人がなにかをしてくれたときは「ごめんなさい」と言わなくても良いよ。単に「ありがとう」で良いよ。)
私の人生は,その留学生と一緒に過ごした一年3ヶ月の間に大きな影響を受けました。Massyは日本人でした。当時はMassyの考え方や国の様子などにはあまり興味を抱きませんでした。今日、振り返ってみると不思議なことですね。私の観察力がまだ発達していなかったのでしょうか。いや、そうではなく、外へ向かっての関心が浅かったのでしょう。自分のことばかり考えていました。当時のMassyはどうだったでしょうか。彼は時々自分の世界に耽っていたかのようでした。
私とMassyの仲は兄弟のようでした。怒ったり、又怒られたりした時もありました。私は大学に入学し、いつかMassyに日本語で手紙を出したいという軽い気持ちで、日本語の勉強し始めました。その時はまだ日本に強い興味を持っていたわけではありませんでしたが、Massyのことを思い熱心に勉強しました。そうしているうちに、この言語を使っている人々の頭の中はどうなっているだろう?と段々日本に興味を持つようになりました。日本に興味を持つことで新聞やニュースをより多く見るようになり、日本に関する見出しを探したり、隣国のことについて目をむけたりするようになりました。それから自分の国にも改めて興味が湧いてきましたね。言い換えれば、世界に責任感が湧いてきたと言えるでしょう。
私自身のホームスティの経験はMassyの実家で過ごした1ヶ月しかありませんが、日本で暮らした経験があります。日本語を勉強し、大学2年生から1年間、日本語を勉強しながらある町で英語指導助手をした経験があります。最初の3ヶ月くらいは人の話がよくわからなく、大きい声でゆっくりと話してもらわないと相手の言っていることが聞き取れませんでした。プールの底に座っているような感じでしたね。水面に泳いでいるねじれた人の姿があり、たまに自分が座っている床まで潜り込んでくれる人もいます。遠くで会話している人もいれば、側まで話しに泳いできてくれる人もいます。けれど音が歪んでいるかのようで、かなり努力しないと言っていることが分からない。それで身振り手振りで会話をすると、たまに成功する。そんな状況だったので自分の世界にこもってしまいがちになりました。
諦めずに勉強し続けるとその歪んでいる声が徐々に明確になり、頑張った甲斐があったなぁと思っています。母の一時の気まぐれで、日本人の留学生を受け入れたことが、私の今までの人生に強い影響が与えたといえます。日本語を勉強し、日本まで来てしまい、現在家族と一緒にこの青空一杯の十勝で幸せに暮らしています。
December 01, 2004
Going for Christmas Trees
Howdy! 今回は自分の出身地、Wyomingという州を少し紹介したいと思います。
歴史的には1890年7
月10日合衆国に入り、「The State of Wyoming」になったが、その前は「Wyoming Territory」(ワイオミング準州・地方行政区)でした。1869年に女性に参政権を与え、アメリカ合衆国の中でもとも早い地域になりました。 それは州になるための最低投票者人数を満たすためだと思われていますが、それからどこの州より早く女性の治安判事と、その後知事も選ばれ、現在の愛称の一つ「The Equality State」(平等の州)と呼ばれるようになりました。
位置的にはアメリカの西北にあり、北にモンタナ州、西にアイダホ州とコロラド州があります。一郎選手のマリナーズがホームと呼ばれるワシントン州から少し南東にあります。
山岳地方にあり、農業地が広がります。農業の他に鉱工業も州の主な産業であります。国立公園のイエローストーンがあります。機会があれば是非イエローストーンを訪ねて欲しい。北海道と同じ位な広さのある自然公園でアメリカの一番古い国立公園です。
Rocky山脈を西に、Big Horn山系を東に、自分の故郷はその間でなったBig Horn盆地の真ん中にあります。Big Horn盆地は夏は暑く冬は寒く、乾燥地帯になっています。
12月に入るとWyomingの山はやっと頂上が白くなり、Christmas頃は町に雪が訪れてきます。運がよければWhite Christmasになります。
私が子供のとき家族が毎年山に行ってChristmas Treeを採りに行きました。山の方は雪が深く、寒かったです。山の深い雪の中、そりを使って遊んだりして、持ってきた暖かいChilliと言う豆料理を食べ、暖かいTangと言うorange drinkを飲んでいました。