February 02, 2005

一時の気まぐれ

高校2年生の時、留学生が1年3ヶ月私の家にホームスティをしました。一緒に学校に通ったり、筋トレしたり、遊んだりしました。私達にはその留学生の名前が発音し難く、愛称「Massy」と呼んでいました。Massyはもちろん英語が少し話せたし、特に変わった服装をしたり、私達を困らせる習慣等もありませんでした。

当時私、そして自分の家族も、一方的にMassyに英語や自分達の習慣を教えようとしていました。例えばよく次のようにMassyの英語を直していました。「Massy, you don’t have to say “sorry” whenever someone does something for you, you just need to say “Thank you.”」(Massy、人がなにかをしてくれたときは「ごめんなさい」と言わなくても良いよ。単に「ありがとう」で良いよ。)

私の人生は,その留学生と一緒に過ごした一年3ヶ月の間に大きな影響を受けました。Massyは日本人でした。当時はMassyの考え方や国の様子などにはあまり興味を抱きませんでした。今日、振り返ってみると不思議なことですね。私の観察力がまだ発達していなかったのでしょうか。いや、そうではなく、外へ向かっての関心が浅かったのでしょう。自分のことばかり考えていました。当時のMassyはどうだったでしょうか。彼は時々自分の世界に耽っていたかのようでした。

私とMassyの仲は兄弟のようでした。怒ったり、又怒られたりした時もありました。私は大学に入学し、いつかMassyに日本語で手紙を出したいという軽い気持ちで、日本語の勉強し始めました。その時はまだ日本に強い興味を持っていたわけではありませんでしたが、Massyのことを思い熱心に勉強しました。そうしているうちに、この言語を使っている人々の頭の中はどうなっているだろう?と段々日本に興味を持つようになりました。日本に興味を持つことで新聞やニュースをより多く見るようになり、日本に関する見出しを探したり、隣国のことについて目をむけたりするようになりました。それから自分の国にも改めて興味が湧いてきましたね。言い換えれば、世界に責任感が湧いてきたと言えるでしょう。

私自身のホームスティの経験はMassyの実家で過ごした1ヶ月しかありませんが、日本で暮らした経験があります。日本語を勉強し、大学2年生から1年間、日本語を勉強しながらある町で英語指導助手をした経験があります。最初の3ヶ月くらいは人の話がよくわからなく、大きい声でゆっくりと話してもらわないと相手の言っていることが聞き取れませんでした。プールの底に座っているような感じでしたね。水面に泳いでいるねじれた人の姿があり、たまに自分が座っている床まで潜り込んでくれる人もいます。遠くで会話している人もいれば、側まで話しに泳いできてくれる人もいます。けれど音が歪んでいるかのようで、かなり努力しないと言っていることが分からない。それで身振り手振りで会話をすると、たまに成功する。そんな状況だったので自分の世界にこもってしまいがちになりました。

諦めずに勉強し続けるとその歪んでいる声が徐々に明確になり、頑張った甲斐があったなぁと思っています。母の一時の気まぐれで、日本人の留学生を受け入れたことが、私の今までの人生に強い影響が与えたといえます。日本語を勉強し、日本まで来てしまい、現在家族と一緒にこの青空一杯の十勝で幸せに暮らしています。