December 30, 2005

Christmas Cookies


新年おめでとうございます!Happy New Year! 2006年の新年に当たって、どんな New Year's Resolutionにしましたか。去年、私はフルマラソンを4時間以内に完走したいという抱負を語り、実現しました。今年は是非3時間半で完走したいと思います。日本語で「抱負を語る」と言うと、プレッシャーがかかっているように感じないのでいいですね。去年、ここで紹介した英語「Make a New Year's Resolution」の方が絶対に成し遂げる!という気持ちが入り、成功できなかった場合は恥ずかしく思うアメリカ人は多いと思います。例えば「This year, I'm going to quit smoking!」(今年は、タバコを止めます!)というresolutionを決めたAさんがいます。一年後、まだタバコをやめられていないことが分かったら、同僚や仲間に厳しく責められます。
 この時期、Thanksgiving、Christmas、そしてNew Year'sの11月から1月を連なる冬のholidaysがあり、食べ物と愛情や友情で心もお腹もいっぱいになります。Christmas Cookiesはこの時期に食べるさまざまな種類のクッキーを指す総称です。Christmas Candyもありますよ。12月になると家族はクッキーを作り、友達にあげたり、贈ったりします。たくさんの種類のクッキーを食べるのは私の楽しみでした。クリスマスに近づくと人からたくさんのクッキーをもらうので、1月末まで毎日美味しいクッキーを食べることができます。又はそのクッキーは見た目も奇麗で、凝った模様や素材の組み合わせに気を使ったクッキーが多く、チョコチップクッキーのような平凡なクッキーはなるべく作らないようにします。
Christmas Cookie Exchangeもよくあります。このクッキー交換パーティには暗黙のルールがあります。事前にルールを決める人もいます。みなはたくさんの種類のクッキーを期待するので、一人は一種類のクッキーをたとえば5ダースを作ります。1ダース分づつ丁寧に包装して、もって帰ることができるようにします。パーティでクッキーを食べる場合も、食べない場合もあります。たとえば、普通の持ち寄りパーティをして、クッキーを交換して帰るやり方もあります。新年の抱負はChristmas Cookiesを食べ過ぎしないことに?

December 01, 2005

米国報告―黄色い煉瓦の道端には

Report from America - What lies on the side of the yellow brick road?

ドライブが好きですか?新しい景色を目にすることが好きなのは私だけではないと思います。車窓の外から展望する柔らかな緑と茶色の交互の田園風景だったり、柿色に光って見える街灯がともる町の風景だったり。私は都会も好きですが、どちらかというと田舎が好きですね。 最近、自分の田舎でドライブを楽しむことが出来ました。最初は緊張して、町に入ったとき、角を曲がると反対車線に入ってしまうのではないかと心配していたが杞憂でした。

再び故郷に帰ったときは、「いつから景色がこんなに素晴らしくなったのか」と感動しました。今は日本という外国に住んでいる私だからこそ、あちこちに新しい景色や物事を探索しに走り回りますが、自分が25年間住んでいたWyomingを探検しようという気持ちはありませんでした。いつも同じところばかりに遊びに行きました。 今回の帰省では、特に新しい目で見慣れた筈の風景を見たことがなかったかのように新しく、美しく見れました。 「Wyomingの秋はこんなきれいだったっけ」と銀杏のように黄葉していたcotton woodの木を眺めました。もちろん、たった5年間離れていた短い期間に木が大きく成長し、Big Horn川を、黄金色の川にしたわけではなく、昔からもとても輝かしい黄色をしていたはずです。気がつかなかっただけです。秋のBig Horn川はオズの魔法使いの黄色い煉瓦の道みたい。ということはどこへ導いてくれるかな。自分の足は十勝管内のどこへ導いてくれるでしょう。どんな発見が待っているでしょう。

Adopt-A-Highway road sign 道と言えばWyomingの道路はきれいです。 アメリカでAdopt-A-Highwayというプログラムがあります。このアダプト・プログラムは、1985年にテキサス州で始まりました。ちなみにadoptという英語は「養子にする」という意味です。このプログラムでは組織や個人のボランティアグループが一区間の道路を養子にし、清掃します。 ボランティアはその一区間(大体3Kから5Kの距離)を2年間担当し、年に4回ゴミを拾う約束をします。代わりに州が道路標識をたて、清掃している団体の名前が載ります。道路を養子にして清掃することにより、税金を節約し、道路をきれいに保ち、住民が有益な地域事業に関与することができます。標識をたてることによりその活動が評価され、自分たちの誇りになります。「この3マイルの区間はHelping Hands Clubにより養子にされ、清掃されています」という道路標識の写真を撮ってきました。このような標識のある道路、ボランティアで清掃されている道路の方 が、委託業者が担当している標識のない道路よりきれいです。アダプトの標識を目にすると、ゴミを投げ捨てられなくなると考えられます。

日本でゴミ拾い活動は小学校、中学校や地域の町内会等の団体が行い、その活動が地域の新聞に取り上げられています。その地域の新聞を読んでいない人やドライバーは気にすることなく、空き缶など、弁当容器の入ったコンビニ袋を窓からや、道路の休憩場所で捨てている気がします。日本では「ポイ捨て禁止」や「ゴミを投げるな」のような標識がありますが、今まで一番印象の強い標識は「ゴミを投げないでありがとうねー○○幼稚園」のような標識でした。

November 07, 2005

人間作りである。

国際交流はこの世界の様々な人や文化と交流をして、他人との交流の中で自分のことをもっとよく知り、広い世界のさまざまな出来事に興味を持ち、さまざまな問題に責任を感じるための人間作りである。

時々私はインターネットを使ってアイディアやinspirationを探します。それで再び九州鶴見町の国際交流のページを見ていました。そこで前から気になっていたこの「国際交流」の説明をここで投稿して、紹介します。

November 01, 2005

あなたは何に感謝しますか?

TIEC Turkeys
Preparing Turkeys for Thanksgiving Dinner

さて、11月1日から本格的な冬が始まると古代ケルト人が信じていました。冬には死が連想され、10月31日の夜にあの世とこの世の境目が開き、亡くなった先祖が帰ってくるとされました。ハロウィーンはこの信仰に由来があります。その古代Europeから380年前のアメリカに移ります。過酷な冬の寒さのなか、十分な収穫が取れなかった開拓者を救ったのはアメリカンインディアンでした。パンプキン、カボチャ、豆、コーンの栽培仕方を教わり、感謝の意で収穫の恵みを助けてくれたインディアンと一緒に分け合ってご馳走を食べました。そのご馳走からアメリカのThanksgivingが始まったとされています。日本語ではこのThanksgivingは感謝際といいます。11月第4木曜日に休日としてアメリカで祝いします。クリスマスに次一番大事な行事となっています。

この期間、ニューヨーク市では花火大会や盛大なパレードが行われ、また小さい町でもそれぞれふるさと祭りのようなイベントが催され、高校のフットボールの試合やダンスパーティなどもあります。しかし、一番大切なのは、(サンクスギビングには)家族が集まり、ともに過ごすことです。離れ離れになっている子供たちも帰省し、いとこ、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんなどが一つの家に集まって感謝を表します。

さぁ、あなたは何に感謝しますか?

この日、各家族では400年前の入植者と先住民に敬意を払い、家族のためにごちそうを作ります。6~10キロもある大きいな七面鳥やジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、パンプキンパイなどの料理がふるまわれます。これらを食べながら家族の皆が会わなかった数ヶ月間の生活や近況について話します。また、人々はこの日にその1年に助けてくれた人々や感謝すべきことについて思いめぐらせます。感謝することで、過去の仲たがいや意見の相違を許すことにもなります。

今年、私はいろいろな人に感謝することがあります。例年と同じように家族とは一緒にサンクスギヴィングを祝うことができませんが、私をずっと支え、一人で日本に来るときも快く送り出してくれた家族に感謝しています。新しい社会に入ってこの町の一員となり、この町の人がアメリカ先住民と同じように私を歓迎し援助してくださったおかげで、新しい環境に慣れることが出来たことにも感謝します。最後に、この美しい町に来てからいろ様々な体験が出来ることにも感謝します。

誰でも私と同じように感謝することがたくさんあると思います。この収穫季である秋を過ごしながら、秋の野菜を食べたり、紅葉を楽しんだりしながら、自分の感謝したいことを考えてみてください。 それで、11月の第4木曜日に、自分の心の中だけでもいいので、感謝したい人に「ありがとう」を言ってみてはいかがでしょうか。

October 06, 2005

October Story Time

Story Timeのお知らせです。今回のStory Time(ストーリータイム)は10月15日、幕別町図書館で開催します。とても残念ながら、私はどうしても今回だけは読み聞かせは出来ません。代わりに特別なゲストリーダーに頼んだので、読み聞かせを決行する予定です。読んでいただけるゲストリーダーを紹介します。帯広市の国際交流員Erin Popelka様です。Erinさんは8月にアメリカのWisconsin州から日本にきました。読んでいただける絵本はThe Very Hungry CaterpillarとWhere’s Spot?の二冊の絵本です。英語の手遊びもありますよ!ご気軽に参加してください。

October 01, 2005

Are You Superstitious? (迷信)

迷信深いですか?

ある雨の日に日本人の友達の家に遊びにいったとき、玄関に入って驚いたことがありました。それは玄関の中に開いた傘が置いてあったことです。初めて家の中で 開いてある傘を見たのです。アメリカでは屋内で傘をさすのは縁起が悪いと思われています。本当に悪いことが起こるとは信じていませんが、アメリカの迷信 なので屋内で傘をささないのは私の習慣です。

アメリカではこのような迷信がいっぱいあります。アメリカに行ったことがある方はほとんどの高いビルには13階がないということに気づかれたでしょうか。家の番地、アパートの番号、ホテルの部屋番号もほとんど13という数字がありません。13番地の家に住むかわりに家の番地を12.5番地にする人が多いです。13が縁起の悪い数字になったのにはいろいろな理由があります。主な理由は昔のキリスト教の信仰に由来しています。天使12人と悪魔1人が集まると悪魔の会議が開かれるということが信じられていました。そして13という数字に関するものはすべて悪魔の会議を召集するとされました。

鏡が割れると7年間不運が続くという迷信もあります。昔の人は鏡には人の魂が映っていると思っていたので、鏡が割れると自分の魂も傷ついてしまうと信じていました。それに人の魂は7年に1回再生するとされていたので、7年間で魂が受けたダメージが払拭されると信じられていました。しかし、割れた鏡を土に埋めるか川で洗うと魂がもっと早く回復するそうです。

塩をこぼしたらすぐ左肩から後ろに向けて塩を投げないと不運が来るとされています。塩は非常に値段の高い大切な品物でしたので、こぼすのはとても もったいないことでした。そして悪魔はいつも人の左肩の後ろで、盗むことができそうな弱い魂を探しています。人が失敗すると魂が弱くなるので悪魔に盗まれ やすくなります。その時に塩を左肩から後ろに向かって投げると悪魔の目がしばらく見えなくなります。

アメリカの迷信は世界中からの移住者が持ち込んだ伝統や習慣が混ざったものです。こんなに色々な迷信が混ざると、何をしたら不運になり何をしたら幸せになるのかがなかなか覚えられません。同僚、クラスメート、友達、道で会った全く見知らぬ人にも、「今迷信として悪いことをしたので不運になりますよ!」とよく 言われてしまいます。私は日本の迷信について何も知りません。知らないうちに自分に不運が訪れたことが何回かあるかも…? 

September 16, 2005

Story Time this Saturday

明日土曜日(9月17日)のStory Time(ストリータイム)は午後2時から札内の百年記念ホールで開きます。今回はとても素敵な絵本と前と違った英語風味の読み聞かせをやります。英語風味って?そうですよ、いつも英語と日本語両方で読み聞かせを行っていますが、今回一冊を英語重視の読み聞かせでやります。きっと勉強になりますよ。

読む絵本のことなのですが、あの有名作家Erik Carle(エリック・カール)と日本の有名作家 いわむら かずお が共同で作成したバイリンガル(二ヶ国語)な絵本を「読み聞かせの会ババール」と一緒に読みます。素敵な出会いが待っているよ。

もう一冊の絵本は英語でしかかかれていませんし、英語でしか読みません!それでも内容はわかると思います。そして知らずに英語も覚えちゃおうかも知れません。是非あそびに来てね!

September 09, 2005

コミュニケーションの第一 歩

私はある中学校の意見発表会で生徒の発表を聞いていまし た。なるほどと 思ったことがありました。生徒のひとりの発表の中に自分の伝いたいことを一生懸命手話で伝えようとしている人が居たのです。その話を聞いたことで  communication ということについて考えました。外国語を勉強することによって新たな communication 方法が生まれます。でも communication は母国語や外国語だけで行われることではありません。つまり口で言える言葉や耳で聞こえる言葉だけではなく、目で見えるも のと全五感で感じるもの、身振り手振りや顔の表情等、色々な方法で行うことだと思います。お互いに共通する言語がなければ、どうやって話し合いが出来ます か?それは一所懸命さ。
 自分の伝いたいことを一所懸命相手に伝えようとする努力と、相手の伝えたいことを一生懸命理解しようとする努力が  communication の第一 歩だと私は考えています。「英語がわからない」と言わずに、自分が思いつくあらゆる方法で自分の意思を伝えてみてください。相手のことをよく見て、よく聞 いて、親切に理解しようと努力してあげてください。自分の積極的な姿勢が相手に伝わるでしょう。 ところで私の好きな日本語といえば「傾聴」が思いつきま す。相手の方向に傾き、身を入れてよく聞くことです。

September 01, 2005

Cars and Driving

最近車のことで色々考えています。


軽自動車

フォードの販売店で働いているアメリカの義父が日本に来た時でした。歩いている途中、彼が私にカメラを渡して、軽自動車の横に立ち、「写真撮って」と頼みました。日本に来た最初の頃、私もランドクルーザーのような特別にデカイ車以外、日本の車の全てが軽自動車の様に感じました。私のハイラックス サーフでも小さく感じます。でも小さすぎというわけでもありません。やっぱり大きいのほうが楽ですが、日本に住んでいて税金と道路などを考えるとアメリカのデッカイ車には乗れないと思います。



道路とスピード


アメリカの道路に比べて、日本の道路は狭く、グニャグニャで凹凸しています。アメリカでのスピード制限は州によって違います。大体時速100キロなので、ここに来て殆どの道路で60キロしか出せれないことに不満でした。アメリカの道路に比べて、日本の方が危ないことを知ってから納得しました。日本の道路で時速100キロ以上を出したらかなり怖いと思います。


テールゲイト Tailgate

この言葉はピックアップトラックの後ろの開ける部分はテールゲートといいます。Tailは尾でgateは門と言う意味です。私の故郷ワイオミング州ではピックアップは非常に人気の高い車です。アメリカ中でも人気が高いです。そのピックアップの後ろにあるtailgateから二つろの車が車間距離をとらずに自分の車と非常に近いという意味です。アメリカでtailgatingと言う行為は交通違反になり、罰金対象となります。 もう一つはtailgate partyです。これも略してtailgatingと言います。これは何かというとアメリカのフットボールゲーム等の試合前のバーベキューパーティーです。スタジアム内は禁酒なので、ゲーム開始前、人が駐車所で集まり、食べて、ビールなどを飲み、試合について意見を討論し合い、いい気分になってから試合観戦ということです。


 

Tailgatingはあまりにもアメリカ人に愛されているので、tailgatingに関する本やアクセサリーもたくさん市販されています。あるインターネット書籍販売サイトで検索するとtailgatingの本は41件がでました。


車の耐用年齢

車検制度など様々な理由で日本人は車を5年くらいしか乗らないと聞いています。または、走行距離10万キロの中古車は古すぎて買わないと考えています。アメリカではもっと長く乗ると思います。殆どの州では車検制度がないし、町と町の間の距離も長く10万キロはともかく、20万キロ乗っている人も少なくありません。特に日本車なら、40万キロ走れると思って長く乗りつづける人が多いです。


この最後の一枚はかつて持っていた愛車です。ビッグホーン山脈のMeadowlark湖の前で撮った写真です。

August 01, 2005

思い出のビッグホーン山脈

私は本当に田舎が大好きな者です。自分の故郷は5,000人しかいない、気候がほとんど砂漠の中の田舎のワイオミング州です。故郷は山に囲まれていて、小さいころの私は夏休みはcamping(キャンプ生活)やfly-fishing (フライフィッシング)で頭いっぱいでした。



本題に入る前に少し、説明したいことがあります。ワイオミング州の小中学校が夏休みに入るということは、一年間の学校生活が終わるということになります。秋に再び学校が始まると生徒は進級・進学し、新学校生活が始まるわけです。ですから「summer vacation (夏休み)」は生徒にとって非常に意味のある、思い出がたくさん作られる3ヶ月間(6月~9月)です。夏休みは短いうえに宿題もある日本の生徒はかわいそうですね。




本題に戻ります。実家から約1時間離れたところにThe Big Horns (ビッグホーン山脈) があります。小学生だった頃、私にとって夏の「weekend(週末)」は「going to the mountain(山へ行く)」と同じ意味でした。金曜日夜5時半から、必ず家族4人とミニチュアシュナウザー(犬)1匹が車に乗って、その山へキャンプをしに行っていました。時々私たち子供は、友だちも連れて行きました。たまに三連休などがある時、祖父母や家族の友だちなどと大勢山に遊びに行くこともありました。



ビッグホーン山脈のふもとに川沿いのキャンプ場がありましたが、父の知り合いは家畜農家協会の一員で、その協会が共有している山奥の土地でのキャンプを許可されていました。そこで巨大なaspen(白樺)、pine(松ノ木)、sage brush(西部に多いヨモギ)のなかで、よく犬と一緒に探検しました。今でも新鮮な思い出です。そこで祖父と一緒に作ったアイスクリームや、自分たちで釣ったマスを芋とたまねぎと一緒にでっかいフライパンで炒めて食べましたが、山で食べたものはなぜか何倍も美味しかったです。



キャンプしていた場所はまた面白いですよ。かつて畜産農家が夏の間遊牧用として使っていた場所で、ボロな馬小屋と年中置きっぱなしのアルミ張りキャンピングトレーラーがありました。ポンプ付きの井戸もありましたが、5分間くらい動かさないと水は出てこないし、飲料水として使えませんでした。



そこで私は自然を愛することを学びました。また、自分で物を作ることや、ものを大切にすることなど、数多く学びました。自分が山に持って入ったゴミは自分で持ち帰ること。水を大切にすること。静かに観察すること。耳を澄ましてよく聴くこと。自然は愛するものであり、恐れるものでもあること。そしてなによりも遊ぶこと。



私は本当に田舎が大好きな者です。ニューヨークやロスのような大都会に生まれていたら、きっとバスケットボールや何らかの少年団に専念していたでしょう。夏休みにスポーツやテレビゲーム夢中な子にならなかった理由は、家族の「山へ行く」習慣があったからだと思います。

July 01, 2005

夏祭り

最近学校で授業がない時間に職員室が少し静かになり、外から蝉の声がリンリンリンと聞こえてきます。 「夏」。。。 この言葉で、あなたはどんなことを連想しますか?日本人だったら、蚊取り線香の匂いやチリンチリンと鳴る風鈴を思い出すことでしょう。あるいは、パー ティー大好きな人だったら、祭りや花火をワクワクしながら楽しみに待つでしょう。もしかしたら、スイカや冷やし中華を想像してよだれを出す人もいるかもし れません。それに、蝉も忘れられませんね!「夏」の意味は人それぞれだけど、アメリカと日本の夏のイメージがかなり似ていることを知れば、あなたは驚くかもしれません。

たとえば、アメリカで一番大きい夏祭りについて話しましょう。毎年7月4日にほとんどのアメリカ人が一緒に祝います。7月4日は約230年 前にアメリカが英国からの独立を宣言した記念日です。この日の昼間に、多くの人が海や湖、市民プール等へ遊びに行きます。また、伝統的な「County Fair」(郡で一年に一度開かれる市(いち))というイベントが今でも行われています。品評会を見たり、農産物や手作り商品の売店で買い物をしたり、色々なゲームで遊んだりしながら、一日中楽しんで過ごせます。そこでは綿菓子やりんご飴も大人気です!(それらはもともとアメリカの伝統的な飴だとずっと思っていたので、日本に来て、「伝統的な日本のお菓子」として綿菓子やりんご飴を紹介された時は少し驚きました。今でも、どこの国が元祖なのかわかりません。)

独立記念日の過ごし方と言えば、ピクニックに行ってランチを食べることです。メニューはフライドチキン、ポテトサラダ、それに水分の多いスイカで決まり!「夏の果物」といえば、やっぱり「スイカ」ですね。日本のスイカとアメリカのスイカはだいたい同じですが、アメリカのは大きくて安く、向こうの 人も頻繁に食べます。田舎で行われるCounty Fairsでは、「スイカ種吹き飛ばし競争」という遊びもあります。世界記録を持っている人はテキサス州の男性です。彼はひとつの種を21メートルも飛ば しました。それを破れると思いますか?どうぞやってみてくださいね!

決して忘れてはならない独立記念日の楽しみ一つは花火大会ですね。夏の楽しみの一つでもあり、自由のために祖先が一生懸命戦ったことを思い出させる行事ですね。 自分のふるさとWyoming州では、花火大会は貴重な体験になってきました。子供のころは手で数えられる花火大会しか楽しめることが出来ませんでした。なぜかというとワイオミング州はほとんど砂漠です。そしてこの10年間続いて干ばつ状態になっていますので、花火は禁止になっています。それで家族と一緒に買った小さい花火を打ち上げる想い出が夏になると懐かしく思います。2,3回くらい私はスコップを持って 花火の火花で起こされた枯れた雑草の中の小な火事を消防しに走っていた記憶がありますね。

夏の夜空に咲く大輪の花。風流ですねぇ~

May 09, 2005

No Talking Trash

Howdy. お元気でしょうか。五月になって、これから夏だなと思っていたばかりに、苗を植えたところに雪が降りましたね。その前に4月中雪が殆ど解けていました。そのころ五月号の記事の内容をどうしようかなと考え、参考に間幕別広報のバックナンバーを閲覧していました。 読んで良かった! 実はトムソン先生の五月の「Frankly率直に」に私が考えた内容と同じような記事が書いてあったのです。出来るだけダブらないように違うことについて書きたいと思うのでここでは「雪に隠されていた空き缶やゴミが雪解けとともに現れてきます。」のようなことについては一切触れません。

May 01, 2005

G'day Mates!

ただいま。私は幕別町の中学生14人、高校生2人、引率者2人と一緒に春休み中の海外研修に行って参りました。10日間、心地よい日本の幕別町と家族から離れて外国の生活を味わってきました。例年のようにオーストラリア・キャンベラ市のカンバー高校を目的地に、3月28日とかち帯広空港を旅立ちました。そして、4月7日に家族・先生・友達の出迎えお受け、皆無事に帰りました。
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この研修は個人的にも非常に良い経験となり、勉強になりました。同じ「英語圏」ですが、やっぱり違います。表現と言葉や発音と抑揚の違いで私にも (オーストラリアで話す英語)は時に分かりにくいものでした。生徒には、分かりにくかったでしょうか。私は、3年間日本語を勉強してから北海道で生活した経験があります。当時の同僚と一緒に青森を旅したことがあります。東北弁にたいして同僚が「それは日本語じゃない」と言っていましたが、私には北海道弁やら東北弁やらあまり関係はありませんでした。知らない言葉が殆どだったため、3年間で覚えた基礎日本語を聞き取って、文脈から推測して理解しようとしていました。きっと生徒は似たような経験をしてきたでしょう。色々な言語の違いがあっても分からないわけでもないし、ちょっとした確認で相手が言い換えてくれます。私が一番使った“確認するための英語”を教えてあげましょう。とても簡単です。これは、文章は分かったけれど、重要な単語一つが聞き取れなかった場合に使う“確認するための英語”です。
「What’s ~」(~は何ですか?)
「~」のところに聞き取った知らない単語をそのまま言い返します。私のホームスティの方が「ジャイル」について話してくれましたが、その言葉がわからなくて、「What’s a ジャイル?」と確認してみたら「You know, a penitentiary, a place where they put people who’ve broken the law.」と説明してくれました。彼が説明していた言葉は「jail」でした。アメリカの発音でしたら「/ジェイル」になりますが、Aussie Englishでは「áil/ジャイル」でした。
この研修を通して改めて分かったことがあります。前にもこの欄で書いたことがありますが、コミュニケーションは口で言える言葉や耳で聞こえる言葉だけではなく、目で見えるもの、五感で感じるもの、身振り手振りや顔の表情等、色々な方法で行うことだと思います。そして、いつも皆の耳にたこが出来るほど言えば、今現在、自分の持っている英語でコミュニケーションが取れます。七転八起。いろんな方法から攻めてみることが大切です。言葉が通じなかったら、違う言葉で言ってみよう。適切な表現が分からなかったら、自分が知っている言葉から攻めて見ます。大きい木は大きな一振りで倒せません。諦めずに、小さい言葉から一杯振って見てください。
最後に覚えてきたAussie Englishを少し紹介したいと思います。
G’day (グデイ)=こんにちは Arvo (アルボー)= 午後 Oz (アズ)=オーストラリア Footy (フティー)=アーストラリアのフットボール Lolly (ロリー)=キャンディー Tea (ティー)=夕食、食事 Mate (メイットゥ)=あなた、友達 Sunnies (サニーズ)=サングラス 
一番最後にNo worries! =問題ない、大丈夫です、どういたしまして

キャンベラ【Canberra】オーストラリア連邦の首都。同国南東部の内陸にある。人口29万8千(1993)。

April 30, 2005

Story Time Off to a Good Start

4月23日(土)に、第1回の英語による絵本の読み聞かせ「Story Time」を無事に終わりました。幕別町は人口3万人くらいなのですが、本町にはせいぜい5千人しかないので、幕別町(本町)の図書館に60人が「Story Time」に来るとは思いませんでした。

ボランティア二人と私三人が2冊の絵本を35人の子供たちに読み聞かせしました。子供は年齢5ヶ月から10歳くらいで、殆どが4歳から8歳の間の子供でした。「三匹のやぎのがらがらどん」と「ぼくんちのかいじゅう」という二冊の絵本を英語と日本語で読みました。読み終わってからホーキーポーキーダンスをして終了しました。

これから毎月第三の土曜日に開催します。幕別町図書館本館と幕別町札内の百年記念ホールの図書館別館で開く予定です。対象年齢は設定していません。もしこれから年来制限をつけるとしたら4歳から10歳の制限に設定すると思います。

本は幕別町図書館にあった英語と日本語訳版の絵本を選びました。図書館は積極的で新しい本の購入や他の市町村からの取り寄せはしてくれるようです。

来月はオーストラリアで買ってきたオーストラリアの絵本を読み聞かせする予定です。その絵本に出てくるAnzac Buiscutsを作って食べさせようと思っています。2冊の絵本のうち一冊は日本語訳版があります。図書館は英語版と日本語版を購入する予定です。もう一冊は自分で翻訳してボランティアのかたがたにFAXで送ります。

帯広市の「世界の絵本の読み聞かせ」を参考にして自分のプログラムを作りました。こんども「Story Time」にかかわる色々な企画をしてみたいと思います。

April 01, 2005

Saturday Morning Cartoons

土曜日。まだ外が薄暗いうちに7歳の男の子がベッドから起き上がってリビングルームに忍びこんで、テレビの電源をつけます。もちろん電源のボタンを押す前に音量のノブを2、3回左回しにし、電源をつけると人間の体にライオンの頭を持つヒーローが仲間と一緒にその世の中の悪者と戦っています。車やジェット機が人間の形をしたロボットに変身したり、ずる賢いバグズバニーとエルマーの競い合いだったり、それらのドラマすべてが朝早く子供の目の前に繰り広げられます。
これが70年代から80年代にかけてのアメリカ子供達の土曜日の朝の光景でした。午前6時から午前10時までの間、放送テレビ局ABS、NBC、CBSから放映される子供向けの番組を通称サタディSaturday モーニングMorning カートゥーンズCartoons(土曜日の朝のアニメ漫画)と呼びました。これらが全国同時に放映され、「土曜日の朝」が「サタディ・モーニング・カートゥーンズ」と同じ意味になっていました。
その時代に育った私も「た・ま・に」朝早くおきて3時間~4時間もじっとリビングルームのテレビの前に座り込んでスーパーマンやルーニートゥーンズを見ていました。このように同じ時代の人達が皆同じアニメを見ていたので、大人になっても仲間として懐かしい話ができます。しかしケーブルテレビの普及とともにサタディ・モーニング・カートゥーンズがなくなりました。今日の子供たちはケーブルテレビで何時でもアニメを見ることができるので、アニメに対して同じ仲間同士の話題がなくなりました。そこでこの新しい時代のテレビを少し紹介したいと思います。


「かつて分けることができない子供とサタディ・モーニング・カートゥーンズの共同はもう特に終わった。」-Gerard Raiti

TV Guide
 アメリカの大きい町の家族では,ケーブルテレビが一番普及しています。その訳は、視聴料が安く、しかも何十チャネルもの放映が見られるからです。更にお金を払えば前年公開されたばかりの映画なども放映している局もあります。
これらは全て24時間放映です。だから、新聞の1ページでは到底番組表が収まりきれません。従ってテレビTV ガイドGuideという専門の雑誌が売られています。時間をおって箇条書きにダーッと書かれています。そしてタイトルと、出演者と、あらすじが続けて書かれています。また、一週間分が一冊なので、毎週買わなければなりません。
 そんなにたくさんの局で何を放送しているのか、と思われるでしょう。日本のテレビ局は視聴者を逃がさないように手を変え品を変え番組内容に工夫をこらしていますが、そんな事はしません。ニュースだけ24時間、映画だけ24時間、アニメだけ24時間、動物だけ24時間、歴史だけ24時間…どうしても理解できないのが「嵐」だけ24時間という局もあります。過去にあったストームの被害状況を番組にしているのです。そんな縦割りの番組編成で、そかも毎日24時間放映していてネタが尽きないのかと、思うでしょう。尽きます。だから何度も同じ番組を繰り返し放映しているのです。
Closed Caption
アメリカのテレビには字幕がでます。英語の字幕です。何のため?耳の不自由な人のためです。音声と同時進行で字幕が出ます。喋っている言葉は勿論のこと、「人々のざわめき、people chattering」とか「馬いななく、horse neighing」なんて事まで書いてくれて非常に親切です。
参照:http://mag.awn.com/index.php?ltype=pageone&article_no=1751

March 01, 2005

America's First Health Food?

米国人はよくcold cerealを朝ご飯として食べます。米国人はあまりにもcerealが大好きなもので、普通のスーパーに行くとcerealの売り場はどこまでも続きそうにcerealの箱がびっしりと並んでいます。実はcerealの1人あたりの消費量は米国人が年に160杯を食べ、相当27億個のcereal箱になります。並んでおくと月まで往復できます。
米国人の朝ご飯に欠かせない「cereal」という言葉の意味について少し紹介します。日本語で「シリアル」は英語のcerealと同じく「朝食用の穀物加工食品」の意ですね。元々の意味は「穀物」で1860年頃に米国で生まれた健康食品でした。当時人々が全ての食べ物に同じ栄養価があったと思い、健康維持に色んな種類のものを食べるより、食べる量が一番重要だと考えられていました。栄養のアンバランスで多くの人が消化不良症に悩まされ、解消してくれるものを探していました。応えて穀物からできたcerealが米国の初健康食品として開発されました。以来米国の文化になくてはならない存在となり、現在スーパーの一番売れている食品の中で第3位に輝いています。ちなみに1位は炭酸飲料と2位は牛乳です。このcerealとの恋愛関係は色んな人気ジングル、キャラクターや本までが生まれました。
自分にとってはcerealではなく、もっと温かみのある朝食がお袋の味になっていますが、実を言うと私は朝ご飯が一番好きです。お母さんが焼いてくれたパンケーキやフレンチトーストやワッフルとお父さんが作ったベーコンや朝食用ソーセージと目玉焼きに牛乳やグレープルーツジュースが一日のエネルギー源になっていました。パン類にかける蜂蜜、ピーナツバター、バター、ジャムなど種類が様々で朝ご飯を食べるのが楽しくてたまりませんでした。現在はその食生活が恋しくなったとき茶碗にはいている白いご飯の上にピーナツバターをかけたくなるけどどうでしょう。
初めて日本にきて、一人暮らしのとき朝早く部屋を出て朝ご飯を食べに行ったことがあります。勿論外で朝食が食べられる処が見当たらなく、コンビニでお握り買って食べました。私の家族が週に一回くらい祖父母と一緒に外で朝食を食べに習慣があります。町のMaggie’s Caféが朝4時から営業。そこでいつも食べるのはフレンチトーストとベーコンです。温かいフレンチトーストにバターと温かいメイプルシロップをかけ、バターがシロップととき混ざり、それにしょっぱいベーコンを加わるとこれより美味しいものはないでしょう。

February 02, 2005

一時の気まぐれ

高校2年生の時、留学生が1年3ヶ月私の家にホームスティをしました。一緒に学校に通ったり、筋トレしたり、遊んだりしました。私達にはその留学生の名前が発音し難く、愛称「Massy」と呼んでいました。Massyはもちろん英語が少し話せたし、特に変わった服装をしたり、私達を困らせる習慣等もありませんでした。

当時私、そして自分の家族も、一方的にMassyに英語や自分達の習慣を教えようとしていました。例えばよく次のようにMassyの英語を直していました。「Massy, you don’t have to say “sorry” whenever someone does something for you, you just need to say “Thank you.”」(Massy、人がなにかをしてくれたときは「ごめんなさい」と言わなくても良いよ。単に「ありがとう」で良いよ。)

私の人生は,その留学生と一緒に過ごした一年3ヶ月の間に大きな影響を受けました。Massyは日本人でした。当時はMassyの考え方や国の様子などにはあまり興味を抱きませんでした。今日、振り返ってみると不思議なことですね。私の観察力がまだ発達していなかったのでしょうか。いや、そうではなく、外へ向かっての関心が浅かったのでしょう。自分のことばかり考えていました。当時のMassyはどうだったでしょうか。彼は時々自分の世界に耽っていたかのようでした。

私とMassyの仲は兄弟のようでした。怒ったり、又怒られたりした時もありました。私は大学に入学し、いつかMassyに日本語で手紙を出したいという軽い気持ちで、日本語の勉強し始めました。その時はまだ日本に強い興味を持っていたわけではありませんでしたが、Massyのことを思い熱心に勉強しました。そうしているうちに、この言語を使っている人々の頭の中はどうなっているだろう?と段々日本に興味を持つようになりました。日本に興味を持つことで新聞やニュースをより多く見るようになり、日本に関する見出しを探したり、隣国のことについて目をむけたりするようになりました。それから自分の国にも改めて興味が湧いてきましたね。言い換えれば、世界に責任感が湧いてきたと言えるでしょう。

私自身のホームスティの経験はMassyの実家で過ごした1ヶ月しかありませんが、日本で暮らした経験があります。日本語を勉強し、大学2年生から1年間、日本語を勉強しながらある町で英語指導助手をした経験があります。最初の3ヶ月くらいは人の話がよくわからなく、大きい声でゆっくりと話してもらわないと相手の言っていることが聞き取れませんでした。プールの底に座っているような感じでしたね。水面に泳いでいるねじれた人の姿があり、たまに自分が座っている床まで潜り込んでくれる人もいます。遠くで会話している人もいれば、側まで話しに泳いできてくれる人もいます。けれど音が歪んでいるかのようで、かなり努力しないと言っていることが分からない。それで身振り手振りで会話をすると、たまに成功する。そんな状況だったので自分の世界にこもってしまいがちになりました。

諦めずに勉強し続けるとその歪んでいる声が徐々に明確になり、頑張った甲斐があったなぁと思っています。母の一時の気まぐれで、日本人の留学生を受け入れたことが、私の今までの人生に強い影響が与えたといえます。日本語を勉強し、日本まで来てしまい、現在家族と一緒にこの青空一杯の十勝で幸せに暮らしています。